艶にもの恥ぢして 065 ★★☆
解読編
目次
帚木 原文 現代語訳 第5章04
艶にもの恥ぢして 恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて上はつれなくみさをづくり 心一つに思ひあまる時は 言はむかたなくすごき言の葉あはれなる歌を詠みおきしのばるべき形見をとどめて 深き山里世離れたる海づらなどにはひ隠れぬるをり
難易度★★☆
難易度★★☆
(左馬頭)色気たっぷりと妙に恥じらって、恨みを言うべき事態にもひとごとみたいに我慢して外目には素知らぬふうに妻たる役割を演じるが、心ひとつに思いあまる時には、言いようもなく心に沁みる文句や情の濃い歌を詠みおき女のことを偲ばずにおかない形見をわざと残して、深い山里や辺鄙な海べなどにひっそりと身を隠してしまうそんな折りに、
解釈の決め手
すごき言の葉
罵詈雑言のようなひどい言葉を一般に考えられているが、それでは形見を残すに意味がなくなる。女は自分がいないことを寂しく思ってほしいのだ。この「すごし」はぞっとするほど寂しいの意味。
ここがPoint
類型的女性論
この発言は頭中将の発言「ただひとへにものまめやかに静かなる心のおもむきならむよるべ」を受けたもので、一見従順な女も、いざとなると豹変して尼になったりするので、そう単純に決めることはできない、という左馬頭の反論である。この議論は木枯らしの女などが意識されていると思われるが、経験そのままではなく、ここにも述べられているように、昔物語などの類型から女性論を展開し、議論のための議論の域を出ていない感じがまぬがれない。
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解析編
語りの対象・構造型・経路図
対象:妻候補
- 《艶にもの恥ぢして・恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて・上はつれなくみさをづくり》A・B・C
色気たっぷりと妙に恥じらって、恨みを言うべき事態にもひとごとみたいに我慢して外目には素知らぬふうに妻たる役割を演じるが、 - 《心一つに思ひあまる時は・言はむかたなくすごき言の葉あはれなる歌を詠みおき・しのばるべき形見をとどめて》D・E・F
心ひとつに思いあまる時には、言いようもなく心に沁みる文句や情の濃い歌を詠みおき女のことを偲ばずにおかない形見をわざと残して、 - 《深き山里世離れたる海づらなどにはひ隠れぬるをり》G
深い山里や辺鄙な海べなどにひっそりと身を隠してしまうそんな折りに、
分岐型・中断型:A<B<C<|D<E+F<G
- A<B<C<|D<E+F<G:A<B<C、D<E+F<G
- A<B:AはBに係る Bの情報量はAとBの合算〈情報伝達の不可逆性〉 ※係り受けは主述関係を含む
- 〈直列型〉<:直進 #:倒置 〈分岐型〉( ):迂回 +:並列 〈中断型〉φ:独立文 [ ]:挿入 |:中止法
- 〈反復型〉~AX:Aの置換X A[,B]:Aの同格B 〈分配型〉A<B|*A<C ※直列型以外は複数登録、直列型は単独使用
述語句・情報の階層・係り受け
構文:は…みさをづくり/二次φにはひ隠れぬる(をり)/二次
〈[女]〉艶にもの恥ぢして 恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて 上はつれなくみさをづくり 心一つに思ひあまる時は 言はむかたなくすごき言の葉あはれなる歌を詠みおき しのばるべき形見をとどめて 深き山里世離れたる海づらなどにはひ隠れぬるをり
- 〈主〉述:一朱・二緑・三青・四橙・五紫・六水 [ ]:補 /:挿入 @・@・@・@:分岐
- 長い文章で、かつ、込み入っているので、わかりやすくするために構造の色分けは単純化する。なお、「をり」はこれまで錯簡であり、不要であると論じられてきたが、長い挿入を挟んで下のように「そんな時に、立派なこころがけですとほめられ、無常観がすすむと尼になったりする」と考えれば何の問題もない。
- 「をりかし」というテキストもある。この場合「をり」は本動詞とされ、「隠れる者がおるものですね」などと訳される。終助詞「かし」を活かすのなら、「はい隠れたまさにその折り」とか「はい隠れた折のことでしたよ」など。構造を無視して意味だけで考えるから原文にないつじつま合わせが必要になる。
- 098「はひ隠れぬるをり」→「心深しやなどほめたてられて あはれ進みぬればやがて尼になりぬかし/02-068」
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語彙編
艶に
色っぽく。
つれなし
素知らぬふう。
あはれなる歌
あはれを催させる歌。恋しさ、愛しさを呼び起こす歌。
しのばるべき
女を思い出さずにはいられない。
形見
恋しく思っていた頃を思い出させる品。
文をまたぐ係り受け
「をり」の係る先を、どうしてこれまで理解されなかったのか。これこそが、古文と現代文の構造的な違いなのである。現代文は文を単位とし、係り受けはそれを超えないという暗黙の規則に縛られる。しかし、古文にはそもそも「。」がないから、文単位という考え方がない。特に、源氏物語は語りが基本である。例えば、女子高生の電話の内容を「。」を打って文単位に区切ったとしても、係り受けが一文内に収まるかというと、そうはならないだろう。係り受けは(現代文でいうところの)文を超えるという意識で原文にあたることが大切なのだ。このサイトで「、」「。」やカギ括弧をつけない理由は、無意識のうちに現代文の解釈方法に縛られるのを避けるためでもある。実際には、それらをうつ明確な基準がないから、恣意的な適用となるのが嫌だというに過ぎない。
おさらい
艶にもの恥ぢして 恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて 上はつれなくみさをづくり 心一つに思ひあまる時は 言はむかたなくすごき言の葉あはれなる歌を詠みおき しのばるべき形見をとどめて 深き山里世離れたる海づらなどにはひ隠れぬるをり
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