帚木十六章 消ゆる帚木

2020-02-24

解読編

帚木 原文 現代語訳 第16章

れいの 内裏うちかずたまふこ  さるべきかたでたま  にはか まかでたまふまねし  みちのほどよりおはしました  紀伊きのかみおどろきて 遣水やりみづ面目めいぼくとかしこまりよろこ  ぎみには ひるより かくなむおもひよれ とのたまひちぎ  れまつはしらしたまひければ 今宵こよひもまづでた  をんなも さるおん消息せうそこありけるに おぼしたばかりつらむほど  あさくしもおもひなされね  さりとてうちと  ひとげなきありさまをえたてまつりて あぢきなく ゆめのやうにてぎにしなげきを またやくはへむとおもみだれて なほさてちつけきこえさせ ことのまばゆけれ  ぎみでてぬるほど  いとけぢかけれ  かたはらいた  なやましければ しのびてうちたたかせなどせむ  ほどはなれてをとて 渡殿わたどのに ちゆうじやうといひしがつぼねしたるかくれに うつろひ  さるこころして ひととくしづめて おん消息せうそこあれど ぎみたづねあは  よろづのところもとありきて 渡殿わたどの  からうしてたどり  いとあさましくつら  とおも  いかにかひなしとおぼさむと きぬばかり  かく けしからぬこころばへは つかふもの  をさなひとのかかることつたふるは いみじくむなるものをとひおどし  心地ここちなやましければ ひとびとけずおさへさせてな こえさせ  あやしとたれたれるらむとはな  こころなかには いと かくしなさだまりぬるのおぼえならで ぎにしおやおんけはひとまれるふるさとなが  たまさかにもちつけたてまつら  をかしうもやあらま  しひておもらぬがほつも いかにほどらぬやうにおぼすらむと こころながらも むねいたく さすがにおもみだ  とてもかくても いまふかひなき宿世すくせなりければ じんこころづきなくてみなむとおもてた  きみは いかにたばかりなさむ  まだをさなきをうしろめたくしたまへるに ようなるよしをこゆれ  あさましくめづらかなりけるこころのほどを もいとづかしくこそなりぬれ  いといとほしきおん気色けしき  とばかりものものたまは  いたくうめきて しとおぼした 
ははきこころらでそのはらみちにあやなくまどひぬるか 
こえむかたこそなけ 」とのたまへ  をんなも さすが まどろまざりけれ 
かずならぬふせふるさにあるにもあらずゆるははき
こえた  ぎみ いといとほしさにねぶたくもあらでまどひありくを ひとあやしとるらむとわびたま  れいの ひとびとはいぎたなきに ひとところすずろにすさまじくおぼつづけらるれど ひとこころざまの なほえずのぼれりけるとねた  かかるにつけてこそこころもとまれと かつはおぼしなが  めざましくつらけれ  さばれとおぼせども さもおぼつまじ  かくれたらむところに なほけとのたまへ  いとむつかしげにさしめられて ひとあまたはべるめれ  かしこげにとこゆ いとほしとおも  よ  あこだにな捨すて とのたまひて おんかたはらにせたまへ  わかくなつかしきおんありさま  うれしくめでたしとおもひたれ  つれなきひとより  なかなかあはれにおぼさると 

難易度☆☆☆

例により、内裏で幾日もお過ごしの間、好都合な方角が方塞がりに当たる日を待ち受けになる。当日、にわかに左大臣邸退出なさるふりをして、道の途中から方違えとして紀伊邸へお越しになった。紀伊守は驚いて、遣水のおかげだと恐縮して喜ぶ。小君には昼のうちに、これこれの心積もりでいると固くお約束になっていた。明け暮れそばに置き、ご用づとめも慣れさせておかれたので、今宵もまっさきにお呼び出しになった。女も同じ旨のお手紙が来たことに対し、苦労して逢う手立てを講じようとなさるお気持ちのほどは、けっして浅いとは思われないが、だからといって、ここで身をゆるし、人数にも入らぬみじめな姿をお見せしては、夢のようにはかなく過ぎ去った一夜の恋の嘆きを、愚かにも、また繰り返すことになりはしまいかと心は揺れに揺れたその末に、やはり手紙にあるとおりお待ち申し上げることは気が差してならないので、小君が君のもとへ戻っていったすきに、「なんだかお客さまに近過ぎる気がして気づかいだわ。具合がよくないので、こっそり背中でも叩かせたいから、すこし離れた部屋を」と願い、渡殿にある、あの中将の君と呼んでいた女房が局に使う目に立たない場所へ移って行った。手紙に書いた通りの心づもりで、従者をはやくに寝静まらせて、お手紙を遣わしになるが、小君は姉を尋ねあぐねている。あらゆる場所を捜し歩いたあげく、渡殿に踏み込んでなんとか探し当てた。なんとまああきれたやり方で、薄情にもほどがあると思い、「どんなにか愛情のかけがいがない人だとお思いだろう」と泣き出しそうな様子でせめると、「そんなけしからぬ気遣いをするものですか。年よわの身でこんなことを取り次ぐのは、めっぽう忌まわしいことなのに」と言い脅して、「気分がよくないので、女房たちをそばに置いて体を揉ませておりますから、と申し上げなさい。いつまでもこんなところにいたら変だと誰もがみな思うでしょ」と言って追いやるが、心のうちでは、まったくこんな受領の後妻に決まってしまった身の上ではなく、亡くなった親のご加護が残る実家にいながら、たまさかにでもお待ち申し上げてお逢いできれば、どれほど心もそわにはしゃがれようか、ままよ、何をどう思案しようと、今はどうにもならない宿世なのだから、人の情を欠いた不愉快な女で通そうと結論づけた。君は、小君がどんなふうに渡りをつけるのか、まだ幼いのを案じながら横になって待っておられたが、不首尾に終った由を申し上げたところ、あまりのことであり、これまでまったく経験のない女の心の持ちように、「この身もまったく恥じ入ってしまうばかりだよ」と、愛情をかけたことをなんとも申し訳ないとお思いのご様子である。しばらくはものもおっしゃられず、ひどく嘆息してつらいとお思いになっていた。
「帚木の心を知らでその原の道にあやなく惑ひぬるかな
(近づけば消えてしまう帚木のような
あなたのお気持ちも知らないで
あなたの心に通う園原の
道の途中でわけがわからないまま
途方に暮れてしまったことだ)
申し上げるすべがありません」とおっしゃる。女もさすがにまんじりともせず、
「数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木」
(数ならず卑しい
受領の家に生えているとの
噂がつらいので
この世にあるともなくて
消えてしまう帚木なのです)
と申し上げた。小君は、申し訳なく思う気持ちに責めたてられて、眠くもないのにふらふらしながら返歌を持って歩きまわるのを、人が変に思うのではないかと、空蝉は気が揉んでおられる。例によって、従者たちは寝ほうけているのに、光の君おひとりは女の返歌にただただ寒々とした情愛のなさをお感じつづけになるが、人とはまるで異なった心のありようが、「消ゆる」と言いながらなお消えずに立ちのぼってくるのが、なんともねたましくて、だからこそ魅せられてしまうのだと、一方ではお考えになりながらも、あまりに癪で薄情だと思われるので、もうどうとでもなれと投げやりになられながら、そうも思い切ることはおできでなく、「隠れているところへ、無理にも連れて行け」とおっしゃるけれど、「ひどく見苦しいところに閉じこもっていて、人がたくさん侍っているようですから、畏れ多く思われますから」と申し上げる。小君は何とも申し訳ない様子で控えている。「わかった。そちだけはせめて見捨てないどくれ」とおっしゃって、小君をおそばに寝かせになった。お若くて惹きつけられてしまうお姿を、うれしくすばらしいと小君が賛嘆していると、つれない人よりはかえっていとしくお思いになったとやら。

フレーズ訳

帚木 フレーズ訳 第16章

  • 《例の 内裏に日数経たまふころ さるべき方の忌み待ち出でたまふ》332
    例により、内裏で幾日もお過ごしの間、好都合な方角が方塞がりに当たる日を待ち受けになる。
  • 《にはかにまかでたまふまねして 道のほどよりおはしましたり》333
    当日、にわかに左大臣邸退出なさるふりをして、道の途中から方違えとして紀伊邸へお越しになった。
  • 《紀伊守おどろきて 遣水の面目とかしこまり喜ぶ》334
    紀伊守は驚いて、遣水のおかげだと恐縮して喜ぶ。
  • 《小君には 昼より かくなむ思ひよれるとのたまひ契れり》335
    小君には昼のうちに、これこれの心積もりでいると固くお約束になっていた。
  • 《明け暮れまつはし馴らしたまひければ 今宵もまづ召し出でたり》336
    明け暮れそばに置き、ご用づとめも慣れさせておかれたので、今宵もまっさきにお呼び出しになった。
  • 《女も さる御消息ありけるに 思したばかりつらむほどは 浅くしも思ひなされねど さりとてうちとけ 人げなきありさまを見えたてまつりてもあぢきなく 夢のやうにて過ぎにし嘆きを またや加へむと思ひ乱れて なほさて待ちつけきこえさせむことのまばゆければ 小君が出でて往ぬるほどに》337
    女も同じ旨のお手紙が来たことに対し、苦労して逢う手立てを講じようとなさるお気持ちのほどは、けっして浅いとは思われないが、だからといって、ここで身をゆるし、人数にも入らぬみじめな姿をお見せしては、夢のようにはかなく過ぎ去った一夜の恋の嘆きを、愚かにも、また繰り返すことになりはしまいかと心は揺れに揺れたその末に、やはり手紙にあるとおりお待ち申し上げることは気が差してならないので、小君が君のもとへ戻っていったすきに、
  • 《いとけ近ければ かたはらいたし なやましければ 忍びてうち叩かせなどせむに ほど離れてをとて 渡殿に 中将といひしが局したる隠れに 移ろひぬ》338
    「なんだかお客さまに近過ぎる気がして気づかいだわ。具合がよくないので、こっそり背中でも叩かせたいから、すこし離れた部屋を」と願い、渡殿にある、あの中将の君と呼んでいた女房が局に使う目に立たない場所へ移って行った。
  • 《さる心して 人とく静めて 御消息あれど 小君は尋ねあはず》339
    手紙に書いた通りの心づもりで、従者をはやくに寝静まらせて、お手紙を遣わしになるが、小君は姉を尋ねあぐねている。
  • 《よろづの所求め歩きて 渡殿に分け入りて からうしてたどり来たり》340
    あらゆる場所を捜し歩いたあげく、渡殿に踏み込んでなんとか探し当てた。
  • 《いとあさましくつらし と思ひて いかにかひなしと思さむと 泣きぬばかり言へば》341
    なんとまああきれたやり方で、薄情にもほどがあると思い、「どんなにか愛情のかけがいがない人だとお思いだろう」と泣き出しそうな様子でせめると、
  • 《かく けしからぬ心ばへは つかふものか 幼き人のかかること言ひ伝ふるは いみじく忌むなるものをと言ひおどして》342
    「そんなけしからぬ気遣いをするものですか。年よわの身でこんなことを取り次ぐのは、めっぽう忌まわしいことなのに」と言い脅して、
  • 《心地悩ましければ 人びと避けずおさへさせてなむと聞こえさせよ あやしと誰も誰も見るらむと言ひ放ちて》343
    「気分がよくないので、女房たちをそばに置いて体を揉ませておりますから、と申し上げなさい。いつまでもこんなところにいたら変だと誰もがみな思うでしょ」と言って追いやるが、
  • 《心の中には いと かく品定まりぬる身のおぼえならで 過ぎにし親の御けはひとまれるふるさとながら たまさかにも待ちつけたてまつらば をかしうもやあらまし》344
    心のうちでは、まったくこんな受領の後妻に決まってしまった身の上ではなく、亡くなった親のご加護が残る実家にいながら、たまさかにでもお待ち申し上げてお逢いできれば、どれほど心もそわにはしゃがれようか、
  • 《しひて思ひ知らぬ顔に見消つも いかにほど知らぬやうに思すらむと 心ながらも 胸いたく さすがに思ひ乱る》345
    しいて恋心など持ち合わせぬ風にぱたりと顔を合わせぬのも、どんなにか身の程知らずのようにお思いだろうと、自ら決めたことながら胸がつまり、さすがに思いは千々に乱れてしまう。
  • 《とてもかくても 今は言ふかひなき宿世なりければ 無心に心づきなくて止みなむと思ひ果てたり》346
    ままよ、何をどう思案しようと、今はどうにもならない宿世なのだから、人の情を欠いた不愉快な女で通そうと結論づけた。
  • 《君は いかにたばかりなさむと まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに 不用なるよしを聞こゆれば あさましくめづらかなりける心のほどを 身もいと恥づかしくこそなりぬれと いといとほしき御気色なり》347
    君は、小君がどんなふうに渡りをつけるのか、まだ幼いのを案じながら横になって待っておられたが、不首尾に終った由を申し上げたところ、あまりのことであり、これまでまったく経験のない女の心の持ちように、「この身もまったく恥じ入ってしまうばかりだよ」と、愛情をかけたことをなんとも申し訳ないとお思いのご様子である。
  • 《とばかりものものたまはず いたくうめきて 憂しと思したり》348
    しばらくはものもおっしゃられず、ひどく嘆息してつらいとお思いになっていた。
  • 《帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな 聞こえむ方こそなけれとのたまへり》349
    「帚木の心を知らでその原の道にあやなく惑ひぬるかな (近づけば消えてしまう帚木のような あなたのお気持ちも知らないで あなたの心に通う園原の 道の途中でわけがわからないまま 途方に暮れてしまったことだ)申し上げるすべがありません」とおっしゃる。
  • 《女も さすがにまどろまざりければ 数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木 と聞こえたり》350
    女もさすがにまんじりともせず、「数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木」(数ならず卑しい 受領の家に生えているとの 噂がつらいので この世にあるともなくて 消えてしまう帚木なのです)と申し上げた。
  • 《小君 いといとほしさに眠たくもあらでまどひ歩くを 人あやしと見るらむとわびたまふ》351
    小君は、申し訳なく思う気持ちに責めたてられて、眠くもないのにふらふらしながら返歌を持って歩きまわるのを、人が変に思うのではないかと、空蝉は気が揉んでおられる。
  • 《例の 人びとはいぎたなきに 一所すずろにすさまじく思し続けらるれど 人に似ぬ心ざまの なほ消えず立ち上れりけるとねたく かかるにつけてこそ心もとまれと かつは思しながら めざましくつらければ さばれと思せども さも思し果つまじく》352
    例によって、従者たちは寝ほうけているのに、光の君おひとりは女の返歌にただただ寒々とした情愛のなさをお感じつづけになるが、人とはまるで異なった心のありようが、「消ゆる」と言いながらなお消えずに立ちのぼってくるのが、なんともねたましくて、だからこそ魅せられてしまうのだと、一方ではお考えになりながらも、あまりに癪で薄情だと思われるので、もうどうとでもなれと投げやりになられながら、そうも思い切ることはおできでなく、
  • 《隠れたらむ所に なほ率て行けとのたまへど》353
    「隠れているところへ、無理にも連れて行け」とおっしゃるけれど、
  • 《いとむつかしげにさし籠められて 人あまたはべるめれば かしこげにと聞こゆ いとほしと思へり》354
    「ひどく見苦しいところに閉じこもっていて、人がたくさん侍っているようですから、畏れ多く思われますから」と申し上げる。小君は何とも申し訳ない様子で控えている。
  • 《よし あこだにな捨てそとのたまひて 御かたはらに臥せたまへり》355
    「わかった。そちだけはせめて見捨てないどくれ」とおっしゃって、小君をおそばに寝かせになった。
  • 《若くなつかしき御ありさまを うれしくめでたしと思ひたれば つれなき人よりは なかなかあはれに思さるとぞ》356
    お若くて惹きつけられてしまうお姿を、うれしくすばらしいと小君が賛嘆していると、つれない人よりはかえっていとしくお思いになったとやら。

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解析編

  • A<B:AはBに係る Bの情報量はAとBの合算〈情報伝達の不可逆性〉 ※係り受けは主述関係を含む
  • 〈直列型〉<:直進 :倒置 〈分岐型〉( ):迂回 +:並列 〈中断型〉φ:独立文 [ ]:挿入 :中止法
  • 〈反復型〉~AX:Aの置換X A[,B]:Aの同格B 〈分配型〉A<B|*A<C ※直列型以外は複数登録、直列型は単独使用
  • 〈主〉述:一朱二緑三青四橙五紫六水 [ ]:補 /:挿入 :分岐
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語彙編

例の/332

いつものように。

さるべき方/332

そうなるのが都合よい方角、すなわち、左大臣邸。タブーなので、名指しせずに「さるべき方」とおぼめかしたのだろう。方塞がりの方角が一周したということは、初回の訪問から六十日が経つことになる。季節は梅雨明けの初夏から残暑の季節に移っている。

まかで/333

宮中から左大臣邸へ向けて退出する。

おはしましたり/333

紀伊邸に来る。紀伊邸に直接行けば、怪しまれる危険性があるので、前のように左大臣邸からの方違えであるとの名目でやってきたのである。

遣水の面目/334

もともと、左大臣邸から方違えとして選んだ理由が、初夏で暑さを避けるために、近頃水を引き入れた場所として中川の紀伊邸が選ばれたのであった。再度の訪問を得たのは、初回の訪問が気に入っていただいたおかげだが、もとをただせば、新たに遣水をもうけたことによる。それを指して「遣水の面目」としたのだろう。

思したばかり/337

逢いたい一心で何とか工夫する。

ほど/337

気持ちのほど。

うちとけ/337

再び肉体関係を結ぶ。

人げなきありさま/337

みじめな今の境遇。かつては帝の正妻にもなろうと思い上がっていた空蝉は今の境遇に対しひどいコンプレックスがある。

あぢけなく/337

「加へむ」にかける。意味は無意味に。

夢のやうにて過ぎにし嘆き/337

夢のように過ぎてしまったあの夜の嘆き、ほぼどの注釈書も訳しているが、夢のように過ぎ去ったのは夜なのか嘆きなのかわかりにくいし(まあ、でもそれは考えればすぐに夜の方だとわかるが、)、あの夜と嘆きの関係となると、この訳からは真意はつかめないだろう。ここは非常に重要なポイントで、あの夜を嘆きの夜と読んでは、空蝉の帖全体を根本的に誤らせる。「夢のやうにて」は夢のような状態のまま。現実が空蝉にとってコンプレックスになっていることは繰り返した。光との夢のような逢瀬はその現実を忘れさせてくれるすばらしい時間であったのだ。しかし、夢はあくまで夢で、はかなく消えてなくなる。「過ぎにし嘆き」は過ぎてしまったことに対する嘆きである。空蝉は光を拒んでいるのではなく、光との関係が続かないことを知っているがために、失恋をしてまたみじめな思いをすることを恐れて、前もって近づかぬようにしているのだ。しかし、そうした抵抗をすること自体、すでに空蝉は光に恋しているといってよい。

まばゆけれ/337

自分がみじめになってしまうのでそばにいることが心苦しいこと。おもはゆいなどという程度のことではない。みじめになるかどうかは、空蝉の存在根拠になっている。

小君が出でて去ぬるほどに/337

何だか同じ語が繰り返されていて、古文というのはじれったいなと思われがちだが、こういうところは古文の方が分析的で、小君が紀伊邸を出て、光のもとへ戻って行った間に、ということ。

さる心して/339

さきほどの気持ちのまま、つまり、手紙にしたためたとおりの計画で。

人とく静めて/339

人は供の者。

あさましく/341

あきれ果てる。

つらし/341

冷淡だ。ともに小君に対してではなく、光に対しての心遣い。

いかにかひなし/341

光から自分がどんなに頼みがいがないと思われようと訳されているが、それでは「けしからぬ心ばへ(よくない気遣い)」にはならない。自分への心配を気遣いとは言わないからだ。これは光の気持ちをおもんぱかって初めて気遣いになるのである。「あさましくつらし」がやはり光の立場に立っていたのと同じである。「かひなし」は直訳すればしがいがない。ここは愛情をいくらかけてもその甲斐がないこと。

いみじく/342

本来神の怒りに触れるのを恐れること。その連用形「いみじく」は程度の甚だしいさをいう。ただし、ここは本来的な意味が残っている感じがする。

悩ましけれ/343

体の具合がわるい。

人びと避けず/343

「人あまたはべるめれば/02-354」とある。光源氏の侵入を防ぐために多くの女房たちを集めたのである。多くの人に知られるのは避けたいので、光源氏も無茶はできない。

おさへ/343

按摩。

かく品定まりぬる身のおぼえ/344

このように地方官の後妻に納まることで中流階級に決まってしまった世間の評価。

過ぎにし親/344

亡くなった親。

御けはひ/344

御威光。

ふるさと/344

実家。

待ちつけ/344

待つではなく、待ってその望みがえられること。

をかし/344

心が浮き立つ。

思ひ知らぬ/345

「思ひ」は光の愛情ではない。それなら「御思ひ」など敬語がつく。恋のいろはも知らない。

見消つ/345

それまで会っていながら、ぱたりと会うのをやめること。「動詞プラス消つ」はその動作を途中で中止する意味になる。一般の注釈通り、無視すると考えても、ここではさほど違わない。

無心に/346

心すなわち人としての情愛がない。木石にかわらない。王朝文学では、これほど熱心に愛情を示されたらほだされるのが人の情と見なされている。

心づきなく/346

好きになれない、気に入らない。

やみ/346

そのままの状態で最後まですませる。押しとおす。

思ひ果てたり/346

思い決めた。

たばかりなさむ/347

主体は小君。

うしろめたく/347

心配する。

不用/347

はかりごとがむだになった。

あさましく/347

意想外な驚きと失望感。

めづらかなり/347

光がこれほど愛情を注ぎわざわざ逢いに来たにも関わらず無下にした女性などこれまでなかったことへの賛嘆する気持ち。そこから、自分の下心を恥じ、しつこく強引にしてきたことを申し訳なく思うのである。

いとほしき/347

気の毒なのではなく、自分の行った行為に対する反省。

とばかり/348

少しの間。

帚木の心を知らでの歌/349

「園原や伏屋に生ふる帚木のありとて行けど逢はぬ君かな」(信濃にある園原の伏屋という森に生える帚木という木は、遠くから見えているからといって行って見るとどこにもない、そんな木に似てあなたは逢ってくれないのですね)を下にひく。

あやなく/349

理解不能。

聞こえむ方/349

方は方角と方途の両意をかける。

伏屋/350

伏屋の森という地名に、みずぼらしい小屋の意味をかける。ここは地方官である伊予介の後妻になっていること。

憂さ/350

つらい。

眠たくもあらでまどひ歩く/351

「眠たくもあれで」は眠くもなくてという順接ではなく、眠くもないのにという逆接である。眠くもなくてなら「眠たくもならで」となる。「まどひ歩く」はあてもなく歩き回るのではなく、空蝉の返歌を光のもとへとどけようとして運んでいる最中。返歌はあっても、光の愛を受け入れないことがわかった小君は返歌を光に渡すことがつらくて、一目散に持ちかえることができず、地に足がつかない状態で、体をふらつかせながら、光のもとへむかっているのである。その様子を姉である空蝉は案じているのが、「わびたまふ」。ここで敬語がついた理由は不明である。返歌を返したことで、光の女としても資格を取り戻したのだろうか。「わびたまふ」の主体を光と空蝉の両方ととることも可能である。その方が敬語が使われている理由が納得できる。しかし、光は自分の気持ちを整理するのが精一杯で、小君のことを思いやるゆとりはないかも知れない。

人びと/352

従者。

一所/352

光ひとり。

すずろに/352

無性に。

すさまじく/352

荒廃した気分。直接には返歌に対する感想である。それは、「消えず立ちのぼりける」が空蝉の返歌である「あるにもあらず消ゆる帚木」を受けていることからもわかる。

人に似ぬ心ざま/352

他の女とは違う心のあり方。

なほ/352

返歌で消えてしまう帚木と歌いながら、それでもやはり。

心もとまれ/352

魅了される。

めざましく/352

心外で癪。

つらけれ/352

相手の冷淡さをひどいと思う気持ち。

さばれ/352

「さもあればあれ」の略で、どうにでもなれという投げやりな気持ち。

さも/352

そのようになげやりになること。

思し果つ/352

思い決める。

むつかしげ/354

むさ苦しい。

かしこげに/354

そのような場所に光をお連れすることを恐れ多くかんじているのである。

いとほし/354

光に対して申し訳ないと思う気持ち。気の毒というような同等な立場の者が示す同情ではない。

あこ/355

そなた。

だに/355

せめて……だけは。

な…そ/355

軽い禁止命令。

御かたはら/355

光のお側。

臥せ/355

他動詞で小君を横に臥せさせる。

若くなつかしき御ありさま/356

小君から見た光の姿。

なつかしき/356

心がなつく。そちらに向かう。

つれなき人/356

冷淡な空蝉。

なかなか/356

かえって。

あはれ/356

愛情。ホモセクシャルな愛情である。

おさらい

例の 内裏に日数経たまふころ さるべき方の忌み待ち出でたまふ にはかにまかでたまふまねして 道のほどよりおはしましたり 紀伊守おどろきて 遣水の面目とかしこまり喜ぶ 小君には 昼より かくなむ思ひよれるとのたまひ契れり 明け暮れまつはし馴らしたまひければ 今宵もまづ召し出でたり 女も さる御消息ありけるに 思したばかりつらむほどは 浅くしも思ひなされねど さりとてうちとけ 人げなきありさまを見えたてまつりてもあぢきなく 夢のやうにて過ぎにし嘆きを またや加へむと思ひ乱れて なほさて待ちつけきこえさせむことのまばゆければ 小君が出でて往ぬるほどに いとけ近ければ かたはらいたし なやましければ 忍びてうち叩かせなどせむに ほど離れてをとて 渡殿に 中将といひしが局したる隠れに 移ろひぬ さる心して 人とく静めて 御消息あれど 小君は尋ねあはず よろづの所求め歩きて 渡殿に分け入りて からうしてたどり来たり いとあさましくつらし と思ひて いかにかひなしと思さむと 泣きぬばかり言へば かく けしからぬ心ばへは つかふものか 幼き人のかかること言ひ伝ふるは いみじく忌むなるものをと言ひおどして 心地悩ましければ 人びと避けずおさへさせてなむと聞こえさせよ あやしと誰も誰も見るらむと言ひ放ちて 心の中には いと かく品定まりぬる身のおぼえならで 過ぎにし親の御けはひとまれるふるさとながら たまさかにも待ちつけたてまつらば をかしうもやあらまし しひて思ひ知らぬ顔に見消つも いかにほど知らぬやうに思すらむと 心ながらも 胸いたく さすがに思ひ乱る とてもかくても 今は言ふかひなき宿世なりければ 無心に心づきなくて止みなむと思ひ果てたり 君は いかにたばかりなさむと まだ幼きをうしろめたく待ち臥したまへるに 不用なるよしを聞こゆれば あさましくめづらかなりける心のほどを 身もいと恥づかしくこそなりぬれと いといとほしき御気色なり とばかりものものたまはず いたくうめきて 憂しと思したり 帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな 聞こえむ方こそなけれとのたまへり 女も さすがにまどろまざりければ 数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木 と聞こえたり 小君 いといとほしさに眠たくもあらでまどひ歩くを 人あやしと見るらむとわびたまふ 例の 人びとはいぎたなきに 一所すずろにすさまじく思し続けらるれど 人に似ぬ心ざまの なほ消えず立ち上れりけるとねたく かかるにつけてこそ心もとまれと かつは思しながら めざましくつらければ さばれと思せども さも思し果つまじく 隠れたらむ所に なほ率て行けとのたまへど いとむつかしげにさし籠められて 人あまたはべるめれば かしこげにと聞こゆ いとほしと思へり よし あこだにな捨てそとのたまひて 御かたはらに臥せたまへり 若くなつかしき御ありさまを うれしくめでたしと思ひたれば つれなき人よりは なかなかあはれに思さるとぞ

2020-02-24

Posted by genjisite