いづれの御時にか  001 ★★★

2019-09-28★★★:源氏千年の謎に挑む01 桐壺

解読編

桐壺 原文 現代語訳 第1章01

いづれのおほむときにか 女御にようご更衣かういあまたさぶらひ まひけるなかに  とやむごとなききはにはあらぬが すぐれてときめきたまふ ありけ 
難易度★★★

いづれの御代とも申しかねますが、女御更衣があまた宮仕えなさっているなかに、取り立てて高貴ではないお方が、今を時めき帝の寵愛をひと際お集めになっておられました。

解釈の決め手

いづれの御時にか:語り手の苦渋と決断

物語冒頭のこの部分は「いつの時代か定かでないが」と訳されてきた。しかし、これは、「時代区分とは天皇による」という古代日本の時間常識を無視した解釈である。語り手が物語ろうとしている対象が「光源氏の父帝」であり、帝が特定されている以上、「いつ」という設問は意味をなさない。「光源氏の父帝の在世」以外に答え方がないのだ。昭和天皇は何時代での天皇ですかという設問が無意味なさないので同じである。
それでは、語り手を悩ませた「いづれの御時」という自問は何だったのか。それは、光源氏の父帝をどうお呼びするかの問題である。物語を描くのに名がないのでは苦労することは想像に難くない。しかし、「在世時の帝は固有名を持たない」という日本古来の鉄則がある。名前があるとすれば、すでに引退する(院号)か亡くなっているか(諡号)の場合のみである。

歴史制作の場であれば、過去の事柄を過去のこととして語るために、院号や諡号でもって在位中の帝を呼ぶことは問題とならない。ところが、物語は過去の出来事であっても、「今進行している事柄」として物語る。現在進行で進む虚構世界に、固有名のある天皇が登場すれば、現在に過去が混入し、パラドクスが生じてしまうのだ。

語り手は思いあぐねた結果、名前をつけない、すなわち匿名のまま物語を進めることにしたのが、冒頭のこの部分の真意である。助詞「か」を「疑問」ととるなら、「どうお呼びすればいいのでしょうか」という結論を棚上げにした状態という解釈になろう、「反語」と考えるなら「いづれともお呼びできない」と結論を下したことになる。

以上をまとめると、「いづれの御時にか」ですでに時間のターゲットは、物語の主人公である光源氏の父母の時代に合わされている(ここが時間ゼロの始点)。ただ父が、在位中に固有名を持たない特殊な存在であるため、あれこれ迷ったあげく名前をつけないことにしたのだ。「物語成功の隠し味」を参照。

時めき:桐壺の房中術

「時」は好時節、「めく」は視覚・聴覚に訴える。全体として好時節が到来したようにはたからは見えるとの意味である。男性社会なら取り立てられて地位が上がるなど、後宮であれば帝の寵愛を集める、とある。自分を超える存在に取り立てられて、予期せぬ好運がもたらされるのである。ところが、地位の高くないこの更衣は、帝のおぼえを集めれば集めるほど、周囲の嫉妬にさいなまれてゆく。ついには皇子を生むという宮仕えする女房にとって最高の栄誉がもたらされると同時に、周囲への気遣いから精神を使い果たし、桐壺更衣は命を失う。好運と悲運がないまぜとなって、更衣に押し寄せるところに、ドラマ性が生じる。「桐壺の娼婦性」を参照。

けり:物語時間の現在性

「き(過去の助動詞)」や「く(来)」と現存をあらわす「あり」が共存してできた助動詞。時間や距離を飛び越えて、今ここにという感覚。早い話が、捜し物が見つかった時に今も「あった」と言う。置き忘れた瞬間から見つけだした今の瞬間まで、その場にありつづけたとの意味だ。これが「ありけり」の現在の姿である。すなわち、この「あった」は形は過去形であっても、意味するところは現在この場・この時の驚き・よろこびなのだ。「いづれの御時にか」で物語は現在進行すると説明しながら、過去で訳す方が自然なことも多い。それは日本語の過去形は過去から現在に至る継続を表現できるからだ。

ここがPoint

物語成功の隠し味

帝の匿名化は、歴史時間(すなわち歴代の帝の諡号リスト)に觝触しない(すなわち独立した)物語時間の成立に大きく寄与した。虚構時間が歴史時間と交わらないからこそ、女色に溺れ政治を投げ出す帝の姿を描くことが許された。帝の妻が寝取られるという皇統断絶の危機を、描くことを可能にした仕掛けもここにある。

物語時空の特殊性

ここに帝四代七十有余年の大河ドラマが幕を切る。登場する帝は、上記で触れたように在位中はすべて固有名を持たない。主な呼び名を整理する。
初代:光源氏と一の宮の父 院号なし 死後は故院など
二代:初代の第一皇子 院号は朱雀院 死後は故院など
三代:初代の第十皇子であるが実父は光源氏 院号は冷泉院 生存中
四代:父は二代帝 在位中のため院号なし
天皇は譲位されると内裏から院という建物に移って余生を過ごす。その時、上皇を直接呼ぶ名はないので建物の名をもって呼ぶことになる、これが院号である。ただし、建物名が固有名となるためには、上皇と建物が一対一の対応がなければならない。ある建物を何代かの上皇が使用した場合、建物名では上皇を特定できないという問題が発生する。まさしく、歴史上、朱雀と冷泉というふたつの建物がそうであった。従って、物語の呼称である「朱雀院」「冷泉院」も、朱雀・冷泉の建物(後院という)を利用した上皇の一人というに過ぎない。すなわち、どの帝もどの院も生前も死後も、特定化につながる固有名を持たないのだ。語り手が入念に作り上げようとしている物語時空の特殊性が垣間見られる一面である。

桐壺更衣の娼婦性

教室解釈は上のごときだが、本来あるべき自動詞の解釈ではなくなっている点、落ち着きが悪い。
明石入道が娘に、光源氏の出生を説明するくだりがある。
「[桐壺更衣を]宮仕へに出だしたまへりしに 国王すぐれて時めかしたまふこと 並びなかりけるほどに」(「須磨」)
「いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ」(桐壺冒頭)
同じ内容を、片や自動詞「時めく」を使い、片や他動詞「時めかす」を使って、述べたことはあきらかであろう。整理する。
一、「時めく」:更衣が主体
二、「時めかす」:更衣が主体、帝は客体
後宮女性にとって一番大切なことは、帝の夜のつとめである。今宵の伽役に選んでもらうためには、性的魅力を高めておくことが必要だった。夜が明けても政治を投げ出し更衣を離さなかったなど、帝の尋常ならざる没入度合いからして、二人の性的相性はよほどよかった。つまるところ、
一、「時めく」:桐壺更衣は性的魅力が抜きん出て高かった
二、「時めかす」:帝を発情させる力が抜きん出て強かった
家格もさほどではなく後見もいない女性が、後宮の中で抜きん出る手段は、女としての魅力以外にない。蛾眉に顔作り水浴みする楊貴妃の姿がまさしく玄宗皇帝の情意をかき立てた。後宮の実情を思い描くならば、「時めく」には性的要素が多分に含まれることは論を俟たないと思うが、いかがか。

解析編

語りの対象・構造型・経路図

対象:原点設定他の女御更衣桐壺更衣

  • いづれの御時にかA
    いづれの御代とも申しかねますが、
  • 女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかにB
    女御更衣があまた宮仕えなさっているなかに、
  • いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふC
    取り立てて高貴ではないお方が、今を時めき帝の寵愛をひと際お集めになって
  • ありけりD
    おられました。

中断型:[A<]B<C<D

  • [A<]B<C<D:A、B<C<D
  • A<B:AはBに係る Bの情報量はAとBの合算〈情報伝達の不可逆性〉 ※係り受けは主述関係を含む
  • 〈直列型〉<:直進 :倒置 〈分岐型〉( ):迂回 +:並列 〈中断型〉φ:独立文 [ ]:挿入 :中止法
  • 〈反復型〉~AX:Aの置換X A[,B]:Aの同格B 〈分配型〉A<B|*A<C ※直列型以外は複数登録、直列型は単独使用

述語句・情報の階層・係り受け

構文:に…ありけり/三次

001づれの御時にか/ 〈女御更衣〉あまたさぶらひたまひけるなか 002とやむごとなき際にはあらぬ〈[更衣]〉が 003ぐれて時めきたまふ ありけり
  • 〈主〉述:一朱二緑三青四橙五紫六水 [ ]:補 /:挿入 :分岐
  • 「いづれの御時にか」は、「述語がない」Aと考えるか、述語はあるが「省略されている」Bと考えるかで、読み方が変わる。
  • Aの場合、ない述語を補うために、かかる先として述語を探すことになる。この場合は「ありけり」がかかる先となる。
  • Bの場合、省略された述語Xを考える。「いづれの御時にか[X]」で文要素は完備されるので挿入であり、かかる先はない。
  • 001「いづれの御時にか」:挿入(「にか」の後ろの省略語を考えることになる)
  • 002「いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ」(AがB連体形):「が」は主格。ただし通例「が」は同格とする(「同格ってなんだ/01-002」参照)
  • 003「すぐれて時めきたまふ」「ありけり」:主語・述語

附録:助詞・敬語の識別・助動詞

  • いづれ御時 女御更衣あまたさぶらひたまひけるなか いとやむごとなき際あら すぐれ時めきたまふ ありけり
  • 助詞:格助 接助 係助 副助 終助 間助 助動詞
  • いづれの時にか 女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ ありけり
  • 尊敬語 謙譲語 丁寧語

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語彙編

女御

帝の正妻候補。親王や大臣などの上流貴族の娘(三位以上)がなる。露顕(ところあらわし)の際に宣旨を受けるため、宣旨を受けない更衣よりも公的性格を帯びる。女御の中から正妻が一人ないし二人(皇后と中宮)選ばれる。皇后と中宮に優劣はない。

更衣

大納言以下の中流貴族の娘(四位または五位)がつく位で、帝の正妻にはなれない。しかし、そうしたルールなどなきがごとくに、帝は中流の桐壺更衣を熱愛する。物語のこの時点では、皇后・中宮ともに空位であり、東宮も冊立されておらず、桐壺更衣が御子をもうけようものなら、正妻の地位があやういばかりか、更衣腹の御子が東宮に擁立されかねないと、女御たちは恐々としている。

あまた

余りと同根。余るくらい多く。表舞台で日の目を見る女房と、裏舞台にいて日の目を見ない女房がいることを暗示させる。呪いなどの手を汚す仕事は、この裏舞台にいる女房たち。

やむごとなき

止むことがないの原義で、この上なく高貴な。

筋と筋の境目、それがはっきりしているのが「際立つ」。ここでは、区別がはっきりしている身分をいう。

すぐれて

人に優れて。ひときわ。比較級で述べられているが、文脈上は最上級と考えてよく、一身に。

読解の要点

・「Aがかかる先B」:A内に欠如した要素Bである
・「挿入」:接続詞や接続助詞を介さい接触節
・「挿入」には欠如要素がないためかかる先がない
・「時代」=「帝の名」
・「永遠の今的存在」:在位中の天皇に固有名はない
・「歴史」:過去の出来事を過去として描く
・「物語」:過去に時間を合わせ現在進行として描く
・「けり」:過去から今に至る継続を表す。
・「あった」:過去の意味と過去からの継続の意味がある

おさらい

いづれの御時にか 女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ ありけり

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